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2006年10月30日

VOL5.「物理学とは哲学である」

私が得意だった科目は数学と物理と、そして、体育。
体育は小学校の頃から大好きで大得意。
数学は微分・積分が始まった頃から特に得意になった。
物理の場合、元々得意だったが、本当に好きになったのは
大学受験の勉強の時である。
(物理学が得意になり、大学では工学部原子核工学科に入学した。)

大学予備校の物理の担当で坂場先生という方がいらっしゃった。
この先生との出会いが、私の物理学に対する価値観を変えた、
と言っても過言ではない。
坂場先生と出会うことにより、
“物理学とは哲学である”と気付いた。
先生自身が、直接、そのような言い回しをしていたわけではないが、
先生の授業を聞いているとそう感じてきた。

ニュートンの万有引力の法則では、
ニュートンがどのように考えてその法則を導き出したか?
フラミングの左手の法則では、
フラミングがどういう思考でその法則に至ったか?
そして、アインシュタインは・・・・・?
先生の授業を聞くと、先人の考え方に触れることが出来た。

現存する物理学法則にはすべて、
その法則を導き出した学者の自然界に対する考え方が表されている。

例えば、
ある学者は自然界を恐い存在と考える、
台風・地震・雷・・・・、天災を起こすから・・・。
ある学者は自然界を優しい存在と考える、
暖かい太陽が注ぎ、心地よい風を作ってくれるから・・・。

いずれも正しいのかもしれない。いずれもその人独自の考え方。

“法則”とは“考え方”であり、“普遍の規律”ではない。
だから、時代が変われば、“法則”=“考え方”は変わる。

ニュートンの考え方・・・・・、昔は正しかったが、
今となっては(間違いとは言えないが)その考え方はもう古い。

“物理学とは哲学”
自然界に対する考え方を学ぶ学問。
自然界に対する思いを論じ合う学問。

だから、物理の公式だけ覚えても全くの無意味。
なぜ、その公式が導きされたのか?を追求しないと全くの無意味。

私の現在の環境ビジネスコンサルタント生活において、
このような物理学の本質に接したことが、実に大きな影響を与えている。
環境ビジネスとは、自然界とビジネス界のマッチングにより成り立つからである。
そして、自然界の本質を知らなければ、
いくらビジネス界を知っていても、環境ビジネスの本質には辿り着けないだろう。

VOL5.「物理学とは哲学である」

私が得意だった科目は数学と物理と、そして、体育。
体育は小学校の頃から大好きで大得意。
数学は微分・積分が始まった頃から特に得意になった。
物理の場合、元々得意だったが、本当に好きになったのは
大学受験の勉強の時である。
(物理学が得意になり、大学では工学部原子核工学科に入学した。)

大学予備校の物理の担当で坂場先生という方がいらっしゃった。
この先生との出会いが、私の物理学に対する価値観を変えた、
と言っても過言ではない。
坂場先生と出会うことにより、
“物理学とは哲学である”と気付いた。
先生自身が、直接、そのような言い回しをしていたわけではないが、
先生の授業を聞いているとそう感じてきた。

ニュートンの万有引力の法則では、
ニュートンがどのように考えてその法則を導き出したか?
フラミングの左手の法則では、
フラミングがどういう思考でその法則に至ったか?
そして、アインシュタインは・・・・・?
先生の授業を聞くと、先人の考え方に触れることが出来た。

現存する物理学法則にはすべて、
その法則を導き出した学者の自然界に対する考え方が表されている。

例えば、
ある学者は自然界を恐い存在と考える、
台風・地震・雷・・・・、天災を起こすから・・・。
ある学者は自然界を優しい存在と考える、
暖かい太陽が注ぎ、心地よい風を作ってくれるから・・・。

いずれも正しいのかもしれない。いずれもその人独自の考え方。

“法則”とは“考え方”であり、“普遍の規律”ではない。
だから、時代が変われば、“法則”=“考え方”は変わる。

ニュートンの考え方・・・・・、昔は正しかったが、
今となっては(間違いとは言えないが)その考え方はもう古い。

“物理学とは哲学”
自然界に対する考え方を学ぶ学問。
自然界に対する思いを論じ合う学問。

だから、物理の公式だけ覚えても全くの無意味。
なぜ、その公式が導きされたのか?を追求しないと全くの無意味。

私の現在の環境ビジネスコンサルタント生活において、
このような物理学の本質に接したことが、実に大きな影響を与えている。
環境ビジネスとは、自然界とビジネス界のマッチングにより成り立つからである。
そして、自然界の本質を知らなければ、
いくらビジネス界を知っていても、環境ビジネスの本質には辿り着けないだろう。

2006年10月29日

VOL4.「作られた道に興味はない」

”作られた道に興味はない!”

私は、子供の頃からそういう思いがあったようだ。

父が日本舞踊教室を開校して、
私の姉と弟は舞踊の稽古をしていたようだが、
長男の私は1回もやったことはない。
稽古の風景さえも1回も見たことはない。
とにかく、日本舞踊などとは接したくもなかった。

生意気にも、「オレは、オレ!」。
もし、今、私にもこんな息子がいたなら、蹴飛ばしたいくらいのガキだったろう。
(単なる”わがまま”とも言える・・・?)

その代わり、小学校4年生の時、地元の少年野球チームに入った。
地元では初めての少年野球チームが結成されると聞いたからだ。

さらには、半年後には地元の少年サッカーチームにも入った。
これまた、地元では初めての少年サッカーチームが結成されると聞いたからだ。

そして、土曜日はサッカー、日曜日は野球という日が続いた。
ほとんど休みなく行った。

(まあ、小さい頃から、運動は好きで、走り回るのが好きだった。)
(授業でも、大好きだったのは体育。)
(そして、常に成績が良かったのも体育。)

”作られた道に興味はない!”
”道は自分で作るもの!”
”見えないところにも道を作り上げる!”

今でも(昔よりさらに)、私にはそういう思いが強い。

よく「先が見えないのでモチベーションが上がりません。」と言う人がいるが、
私の場合は、全く逆で、先の見えない仕事の方がモチベーションが上がり、
先が見えてくると、急に興味がなくなってしまう。

自分で言うのも変だが、本当、変わった人間だ。

VOL4.「作られた道に興味はない」

”作られた道に興味はない!”

私は、子供の頃からそういう思いがあったようだ。

父が日本舞踊教室を開校して、
私の姉と弟は舞踊の稽古をしていたようだが、
長男の私は1回もやったことはない。
稽古の風景さえも1回も見たことはない。
とにかく、日本舞踊などとは接したくもなかった。

生意気にも、「オレは、オレ!」。
もし、今、私にもこんな息子がいたなら、蹴飛ばしたいくらいのガキだったろう。
(単なる”わがまま”とも言える・・・?)

その代わり、小学校4年生の時、地元の少年野球チームに入った。
地元では初めての少年野球チームが結成されると聞いたからだ。

さらには、半年後には地元の少年サッカーチームにも入った。
これまた、地元では初めての少年サッカーチームが結成されると聞いたからだ。

そして、土曜日はサッカー、日曜日は野球という日が続いた。
ほとんど休みなく行った。

(まあ、小さい頃から、運動は好きで、走り回るのが好きだった。)
(授業でも、大好きだったのは体育。)
(そして、常に成績が良かったのも体育。)

”作られた道に興味はない!”
”道は自分で作るもの!”
”見えないところにも道を作り上げる!”

今でも(昔よりさらに)、私にはそういう思いが強い。

よく「先が見えないのでモチベーションが上がりません。」と言う人がいるが、
私の場合は、全く逆で、先の見えない仕事の方がモチベーションが上がり、
先が見えてくると、急に興味がなくなってしまう。

自分で言うのも変だが、本当、変わった人間だ。

2006年10月26日

VOL3.「師匠という存在」

私が小学校2年生の時に、父が日本舞踊の教室を開校。
師範名は藤間勘寿鵬・・・・。
”藤間流”本家の最後の師範だったので、結構、由緒ある存在だったようだ。
(もちろん、分家は今でも、多数、健在!)

日本舞踊の師匠は、作曲家に似た存在のようだ。
作曲家は伝えたいことをメロディにして、歌い手にその表現を託す。
日本舞踊の師匠は伝えたいことを体の動きにして、
弟子たちにその表現を託す。

舞踊の世界では、
人間の喜怒哀楽を身振り手振りだけで表現する。
季節の移り変わりを身振り手振りだけで表現する。
声に出すこともなく、表情さえも変えない。
せいぜい、使う道具と言えば、扇子とか傘ぐらい・・・。

師匠は弟子たちのレベル・特徴に合わせて、曲を選択して、
振り付けを考えて、それを教える。
しかも、弟子たちは千差万別だから、
それぞれの個性を活かさなければいけない。
弟子たちが最大限輝くように・・・。

つまり、あるべき論を一様に押し付けるのではなく、
師匠は、弟子たちの1人1人の個性、
”個の花”を咲かせてあげなければいけない。

1人1人の弟子を最大限輝かせるにはどうしたら良いか?
”個の花”を咲かせてあげるにはどうしたら良いか?

師匠は悩むようである。
なにしろ、藤間勘寿鵬には、
ピーク時に100人を超える弟子たちがいたのだから。

そして、1人1人が最大限輝いた時に、
観客にもそれが伝わり、最大限の感動を与えられるのだろう。

私の姉と弟は、父の舞踊の手ほどきを受けたが、
なぜか、私は舞踊の経験は一切ない。

おそらく、私が相当嫌がったのだろう。

「これをやれ!」と言われたら、敢えて「絶対にやらない!・・・・・」、
生まれつきの性格。
他人の真似が嫌いな性格。

私は舞踊の経験は全くない。
でも・・・・・・・、
DNAなのであろうか?、
なぜか、これぐらいのことは分かる・・・。

VOL3.「師匠という存在」

私が小学校2年生の時に、父が日本舞踊の教室を開校。
師範名は藤間勘寿鵬・・・・。
”藤間流”本家の最後の師範だったので、結構、由緒ある存在だったようだ。
(もちろん、分家は今でも、多数、健在!)

日本舞踊の師匠は、作曲家に似た存在のようだ。
作曲家は伝えたいことをメロディにして、歌い手にその表現を託す。
日本舞踊の師匠は伝えたいことを体の動きにして、
弟子たちにその表現を託す。

舞踊の世界では、
人間の喜怒哀楽を身振り手振りだけで表現する。
季節の移り変わりを身振り手振りだけで表現する。
声に出すこともなく、表情さえも変えない。
せいぜい、使う道具と言えば、扇子とか傘ぐらい・・・。

師匠は弟子たちのレベル・特徴に合わせて、曲を選択して、
振り付けを考えて、それを教える。
しかも、弟子たちは千差万別だから、
それぞれの個性を活かさなければいけない。
弟子たちが最大限輝くように・・・。

つまり、あるべき論を一様に押し付けるのではなく、
師匠は、弟子たちの1人1人の個性、
”個の花”を咲かせてあげなければいけない。

1人1人の弟子を最大限輝かせるにはどうしたら良いか?
”個の花”を咲かせてあげるにはどうしたら良いか?

師匠は悩むようである。
なにしろ、藤間勘寿鵬には、
ピーク時に100人を超える弟子たちがいたのだから。

そして、1人1人が最大限輝いた時に、
観客にもそれが伝わり、最大限の感動を与えられるのだろう。

私の姉と弟は、父の舞踊の手ほどきを受けたが、
なぜか、私は舞踊の経験は一切ない。

おそらく、私が相当嫌がったのだろう。

「これをやれ!」と言われたら、敢えて「絶対にやらない!・・・・・」、
生まれつきの性格。
他人の真似が嫌いな性格。

私は舞踊の経験は全くない。
でも・・・・・・・、
DNAなのであろうか?、
なぜか、これぐらいのことは分かる・・・。

2006年10月24日

VOL2 「クリーニング工場と日本舞踊」

私の実家は、実は、クリーニング工場を経営していた。
地元では、「菊池クリーニング」という名で少しは知られていた。
私の父はそのクリーニング工場の後を継いだが、結構な変わり者。
若い頃は、俳優学校や芸能教室に通っていて、日本舞踊も習っていたようだった。
そして、ついには日本舞踊の師範資格を取得した。
”藤間流”・・・・・・という家門の師範。
”藤間勘寿鵬”という称号ももらっていた。

そして、父はクリーニング工場経営をしていながら、自分の夢であった日本舞踊教室を開校した。
ピークでは100人を超える弟子たちが在籍して、地元ではNO1(と言うか、オンリー1)の存在だった。
一応、弟子たちからは、「先生!」「先生!」と呼ばれていた。

子供の頃、なぜ、みんなが私の父を「先生!」と呼ぶのかさえも、私は分からなかったものだ。

ところで、舞踊教室の運営に熱心だった為、その分、クリーニング工場の経営は全くの疎か・・・・・。
やがては、工場を閉めることになった。
いわゆる、廃業!
芸のスキルはあった?ようだが、経営のスキルは全くなかったのだろう。
私が中学校1年生の時のことである。

「経営は難しい!商売は難しい!」というフレーズを、
よく両親(特に、母)から聞いていたものだった。

小学校の頃から、”経営・・・・”、”商売・・・・”、という言葉に触れていたのが、
私の経営コンサルタント生活に活かされているのかもしれない。

VOL2 「クリーニング工場と日本舞踊」

私の実家は、実は、クリーニング工場を経営していた。
地元では、「菊池クリーニング」という名で少しは知られていた。
私の父はそのクリーニング工場の後を継いだが、結構な変わり者。
若い頃は、俳優学校や芸能教室に通っていて、日本舞踊も習っていたようだった。
そして、ついには日本舞踊の師範資格を取得した。
”藤間流”・・・・・・という家門の師範。
”藤間勘寿鵬”という称号ももらっていた。

そして、父はクリーニング工場経営をしていながら、自分の夢であった日本舞踊教室を開校した。
ピークでは100人を超える弟子たちが在籍して、地元ではNO1(と言うか、オンリー1)の存在だった。
一応、弟子たちからは、「先生!」「先生!」と呼ばれていた。

子供の頃、なぜ、みんなが私の父を「先生!」と呼ぶのかさえも、私は分からなかったものだ。

ところで、舞踊教室の運営に熱心だった為、その分、クリーニング工場の経営は全くの疎か・・・・・。
やがては、工場を閉めることになった。
いわゆる、廃業!
芸のスキルはあった?ようだが、経営のスキルは全くなかったのだろう。
私が中学校1年生の時のことである。

「経営は難しい!商売は難しい!」というフレーズを、
よく両親(特に、母)から聞いていたものだった。

小学校の頃から、”経営・・・・”、”商売・・・・”、という言葉に触れていたのが、
私の経営コンサルタント生活に活かされているのかもしれない。

VOL1.本能

生まれは茨城県常陸太田市。わずか人口4万人程度の田舎町。
今では大型の商業施設も増えているが、当時はのんびりとした
田園風景に囲まれていて、親戚のほとんどは農業を営んでいた。
子供の頃、その親戚の家に遊びに行っては、よく田植えや稲刈りの
手伝いをした。
サツマイモ掘りや栗拾いなどでも遊んだ。
また、親戚の家には、(農家にとっては当たり前だが)
脱穀機や精米機があり、昔ながらの土間や囲炉裏もあった。
ご飯は薪で釜炊き。牛もいたし、鶏もいた。
都会の人なら驚くかも知れないが、親戚では火葬ではなく
土葬が風習だった。
そこで、私は「人が死んだら土に帰るんだなあ。」と
子供心に感じたものだ。

私の“環境”というか“自然”を大事にしたいという思いは、
このような子供の頃の生まれ育ちに深く関係しているようだ。
そして、環境ビジネスコンサルティングの道を歩むという
現在の姿も、「これからは環境の時代だから・・・・・」とか、
「環境ビジネスが脚光を浴びるから・・・・・」とか、
そういう思いからではなく、ごくごく自然に自分の心の底から
沸き起こった思い、願望、もっと言えば、本能と言えるかも
しれない。
それは、誰かからアドバイスを受けた訳ではなく、もちろん、
参考資料を読んだ訳でもなく、ごくごく自然に、
そして、静かに・・・、私の心の中で沸き起こったものである。

VOL1.本能

生まれは茨城県常陸太田市。わずか人口4万人程度の田舎町。
今では大型の商業施設も増えているが、当時はのんびりとした
田園風景に囲まれていて、親戚のほとんどは農業を営んでいた。
子供の頃、その親戚の家に遊びに行っては、よく田植えや稲刈りの
手伝いをした。
サツマイモ掘りや栗拾いなどでも遊んだ。
また、親戚の家には、(農家にとっては当たり前だが)
脱穀機や精米機があり、昔ながらの土間や囲炉裏もあった。
ご飯は薪で釜炊き。牛もいたし、鶏もいた。
都会の人なら驚くかも知れないが、親戚では火葬ではなく
土葬が風習だった。
そこで、私は「人が死んだら土に帰るんだなあ。」と
子供心に感じたものだ。

私の“環境”というか“自然”を大事にしたいという思いは、
このような子供の頃の生まれ育ちに深く関係しているようだ。
そして、環境ビジネスコンサルティングの道を歩むという
現在の姿も、「これからは環境の時代だから・・・・・」とか、
「環境ビジネスが脚光を浴びるから・・・・・」とか、
そういう思いからではなく、ごくごく自然に自分の心の底から
沸き起こった思い、願望、もっと言えば、本能と言えるかも
しれない。
それは、誰かからアドバイスを受けた訳ではなく、もちろん、
参考資料を読んだ訳でもなく、ごくごく自然に、
そして、静かに・・・、私の心の中で沸き起こったものである。

2006年10月11日

菊池 功の“想い”

完成されたものに興味はない。常に未知に挑む開拓者でありたい。

k-img02.gif





<環境ビジネスコンサルティンググループ部長 統括責任者 執行役員>


■菊池 功


名古屋大学工学部原子核工学科を卒業後、船井総合研究所に入社。
環境ビジネス・エネルギービジネス・産廃ビジネスに専門特化した経営コンサルティングのパイオニア的存在。漠然とした啓発的・啓蒙的な活動ではなく、実務的・実践的なビジネスコンサルティングを行っている。日本最大級の環境ビジネス情報サイトeco-webnet.comの統括責任を勤め、全国に3000社超の環境企業ネットワークを構築している。最新の環境ビジネスモデル提案、事業提携・技術提携・企業間タイアップ指導、異業種からの環境ビジネス新規事業開発・開拓に関して、多くの実績を残しており、累計のクライアント企業数は500社を超える。
モットーは、行動第一・行動主義・現場主義・改革革新・スピード主義・即断即決・チャレンジ精神








kikuchi_top.gif



グラスと経済学



最近、「マーケティング」という言葉が脚光を浴びている。
「コンサルタント」という職種も学生に人気が高いらしい。
けれども、自分が学生の頃には、どちらの言葉も全くポピュラーではなかった。
大学時代に専攻していた原子核工学科の学生の就職先は、原子力発電所やエネルギー関連の省庁が大多数で、仕事の中身も研究職が王道。
自分も、大学に入った頃は物理で飯を食っていこうと考えていたけれど、学年が進むにつれて研究者を目指している周囲と自分とは人種が違うように思えてきた。

その頃、アルバイトでバーテンダーをやっていて、毎晩のようにカウンター越しに酒をサービスしながら、様々な業界のビジネスマンや経営者の話を聞いていた。
彼らの話は刺激的で、「株」のことも、ビジネスの仕組みもそこから自然に学んだ。
売上をアップさせるには、お客様を喜ばせるには何が必要かを考えているうちに、いつしか経営の根幹に携わる仕事がしてみたいと思うようになった。
コンサルティングやマーケティングに関する本を読んだわけでもないし、誰かに教えてもらったわけでもない。
初めからコンサルタントになりたかったのではなく、自分がやりたい仕事を追及したら、コンサルタントに辿り着いたということ。
業界や職種より先に、まず、自分が何をやりたいか、それが大事だった。







在りのまま



物理で飯を食うことは選択しなかったけれど、今でも物理が好きなことに変わりはない。
物理は、極めて右脳的な学問であるというのが持論。
大胆な仮説には、時としてロジックを超えたイメージや思いつきが重要になる。
ニュートンやアインシュタインが確立した学説の出発点は、大いなる「あてずっぽう」だったに違いない。
超一流の物理学者はすべて、右脳が発達していたと確信している。
ロジックやそれまでの常識、事例を捨てて、ありのままに事象を見つめることが物理には決定的に重要で、これはコンサルタントの本質にもつながる。
クライアントである企業や経営者と、すべての先入観を捨てて向き合うことから、コンサルティングは始まるのだ。
そういう意味では、物理を学んだことは現在の仕事にも生きていると言えるかもしれない。

船井総研での第一印象は、「会社らしくない会社」だ。
なんだかラフで、ワサワサしていて、それまでに訪問した外資系や企業系のコンサルティング会社とは、全く雰囲気が違っていた。
型にはまることが嫌いな自分には、ぴったりの場所のように思えた。
それから、15年以上が経過した今でも、最初の印象は変わらない。
船井総研と出会えたからこそ、現在の自分があると素直に思える。
他の会社だったら、とっくに別の道を歩んでいただろう。







2度目の就職



入社後、約10年間、食品、製薬、インテリアなど様々な業界へのコンサルティング活動を経験した。
業種についても、製造から卸、小売までくまなく手掛けてきた。
言わば、「船井総研の保守本流」とも言える領域で実績を積み重ねてきたわけだが、ある時、ふと「このままではつまらない」という思いが胸の中に芽生えた。
完成されたものに興味が湧かない。
それは、子供の頃から変わらない自分自身の性分。
これまでに経験したことのない業界、提案したことがない手法に挑戦したい。
そんな思いがどんどん膨らんで、もう一度、「自分は何をやりたいか」を真剣に考え始めた。
それまでのコンサルティング活動の中で漠然と感じていた、従来の生産や流通の仕組みでは近い将来限界が来るという危機感をつきつめていくと、「環境ビジネス」というテーマが見えてきた。

当時、勤務していた大阪から東京本社に駆け込んで、社長と専務に「環境ビジネスの立ち上げ」を直談判。
約40人の部下を率いるグループマネージャーという肩書きを返上して、たった一人の挑戦を認めて欲しいと迫った。
ビジネスとしてのポテンシャルは未知数だった当時、環境という世界で一から再出発したいという願いを即座に聞き入れてくれた経営陣に、心から感謝している。
環境ビジネスの立ち上げは、自分自身にとって2度目の就職とも言える重大な転機になった。
チャレンジできるという喜びで胸がいっぱいで、不安は全く感じなかった。







農耕型ビジネス



環境ビジネスという新しいフィールドで、真っ先に行ったことは環境サイトの立ち上げ。
環境問題に意欲的に取り組んでいる多種多様な企業の情報を公開して、それぞれのビジネスを応援することをサイトの目的に定めた。
すぐさま収益を上げることより、環境ビジネスのサポーターというスタンスで、環境関連企業のネットワークを築くこと、つまり「土づくり」に徹底的にこだわった。
今やそのサイトは、3,000社超の環境関連技術をデータベース化する日本最大級の環境関連ポータルサイトとして認知され、豊かな土壌からは環境ビジネス新規参入コンサルティングや環境ベンチャー育成支援コンサルティング、会員企業のビジネスマッチングなどの事業が次々と育っている。
セミナーを開催して、内容に関心を持った企業や経営者にアプローチするという船井総研の伝統的な手法とは異なる、インターネットによる新たなビジネススキームを構築できたことに達成感を味わっている。
現在も学生を対象に環境セミナーを開催しているが、今後は子供向けのイベントやセミナーなどを通じて、社会全体に環境意識や循環型社会の必要性を広めていきたい。

コンサルティングセールスという言葉が一般化してきたように、企業自身がコンサルティングの意味を考え、実践しようとする現代では、従来型のコンサルタントに未来はないと言えるかもしれない。
個人的には、従来のアドバイス産業に留まらず、自らが「商品」を創り出すことが、成長を続けるための課題だと考えている。

菊池 功の“想い”

完成されたものに興味はない。常に未知に挑む開拓者でありたい。

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<環境ビジネスコンサルティンググループ部長 統括責任者 執行役員>


■菊池 功


名古屋大学工学部原子核工学科を卒業後、船井総合研究所に入社。
環境ビジネス・エネルギービジネス・産廃ビジネスに専門特化した経営コンサルティングのパイオニア的存在。漠然とした啓発的・啓蒙的な活動ではなく、実務的・実践的なビジネスコンサルティングを行っている。日本最大級の環境ビジネス情報サイトeco-webnet.comの統括責任を勤め、全国に3000社超の環境企業ネットワークを構築している。最新の環境ビジネスモデル提案、事業提携・技術提携・企業間タイアップ指導、異業種からの環境ビジネス新規事業開発・開拓に関して、多くの実績を残しており、累計のクライアント企業数は500社を超える。
モットーは、行動第一・行動主義・現場主義・改革革新・スピード主義・即断即決・チャレンジ精神








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グラスと経済学



最近、「マーケティング」という言葉が脚光を浴びている。
「コンサルタント」という職種も学生に人気が高いらしい。
けれども、自分が学生の頃には、どちらの言葉も全くポピュラーではなかった。
大学時代に専攻していた原子核工学科の学生の就職先は、原子力発電所やエネルギー関連の省庁が大多数で、仕事の中身も研究職が王道。
自分も、大学に入った頃は物理で飯を食っていこうと考えていたけれど、学年が進むにつれて研究者を目指している周囲と自分とは人種が違うように思えてきた。

その頃、アルバイトでバーテンダーをやっていて、毎晩のようにカウンター越しに酒をサービスしながら、様々な業界のビジネスマンや経営者の話を聞いていた。
彼らの話は刺激的で、「株」のことも、ビジネスの仕組みもそこから自然に学んだ。
売上をアップさせるには、お客様を喜ばせるには何が必要かを考えているうちに、いつしか経営の根幹に携わる仕事がしてみたいと思うようになった。
コンサルティングやマーケティングに関する本を読んだわけでもないし、誰かに教えてもらったわけでもない。
初めからコンサルタントになりたかったのではなく、自分がやりたい仕事を追及したら、コンサルタントに辿り着いたということ。
業界や職種より先に、まず、自分が何をやりたいか、それが大事だった。







在りのまま



物理で飯を食うことは選択しなかったけれど、今でも物理が好きなことに変わりはない。
物理は、極めて右脳的な学問であるというのが持論。
大胆な仮説には、時としてロジックを超えたイメージや思いつきが重要になる。
ニュートンやアインシュタインが確立した学説の出発点は、大いなる「あてずっぽう」だったに違いない。
超一流の物理学者はすべて、右脳が発達していたと確信している。
ロジックやそれまでの常識、事例を捨てて、ありのままに事象を見つめることが物理には決定的に重要で、これはコンサルタントの本質にもつながる。
クライアントである企業や経営者と、すべての先入観を捨てて向き合うことから、コンサルティングは始まるのだ。
そういう意味では、物理を学んだことは現在の仕事にも生きていると言えるかもしれない。

船井総研での第一印象は、「会社らしくない会社」だ。
なんだかラフで、ワサワサしていて、それまでに訪問した外資系や企業系のコンサルティング会社とは、全く雰囲気が違っていた。
型にはまることが嫌いな自分には、ぴったりの場所のように思えた。
それから、15年以上が経過した今でも、最初の印象は変わらない。
船井総研と出会えたからこそ、現在の自分があると素直に思える。
他の会社だったら、とっくに別の道を歩んでいただろう。







2度目の就職



入社後、約10年間、食品、製薬、インテリアなど様々な業界へのコンサルティング活動を経験した。
業種についても、製造から卸、小売までくまなく手掛けてきた。
言わば、「船井総研の保守本流」とも言える領域で実績を積み重ねてきたわけだが、ある時、ふと「このままではつまらない」という思いが胸の中に芽生えた。
完成されたものに興味が湧かない。
それは、子供の頃から変わらない自分自身の性分。
これまでに経験したことのない業界、提案したことがない手法に挑戦したい。
そんな思いがどんどん膨らんで、もう一度、「自分は何をやりたいか」を真剣に考え始めた。
それまでのコンサルティング活動の中で漠然と感じていた、従来の生産や流通の仕組みでは近い将来限界が来るという危機感をつきつめていくと、「環境ビジネス」というテーマが見えてきた。

当時、勤務していた大阪から東京本社に駆け込んで、社長と専務に「環境ビジネスの立ち上げ」を直談判。
約40人の部下を率いるグループマネージャーという肩書きを返上して、たった一人の挑戦を認めて欲しいと迫った。
ビジネスとしてのポテンシャルは未知数だった当時、環境という世界で一から再出発したいという願いを即座に聞き入れてくれた経営陣に、心から感謝している。
環境ビジネスの立ち上げは、自分自身にとって2度目の就職とも言える重大な転機になった。
チャレンジできるという喜びで胸がいっぱいで、不安は全く感じなかった。







農耕型ビジネス



環境ビジネスという新しいフィールドで、真っ先に行ったことは環境サイトの立ち上げ。
環境問題に意欲的に取り組んでいる多種多様な企業の情報を公開して、それぞれのビジネスを応援することをサイトの目的に定めた。
すぐさま収益を上げることより、環境ビジネスのサポーターというスタンスで、環境関連企業のネットワークを築くこと、つまり「土づくり」に徹底的にこだわった。
今やそのサイトは、3,000社超の環境関連技術をデータベース化する日本最大級の環境関連ポータルサイトとして認知され、豊かな土壌からは環境ビジネス新規参入コンサルティングや環境ベンチャー育成支援コンサルティング、会員企業のビジネスマッチングなどの事業が次々と育っている。
セミナーを開催して、内容に関心を持った企業や経営者にアプローチするという船井総研の伝統的な手法とは異なる、インターネットによる新たなビジネススキームを構築できたことに達成感を味わっている。
現在も学生を対象に環境セミナーを開催しているが、今後は子供向けのイベントやセミナーなどを通じて、社会全体に環境意識や循環型社会の必要性を広めていきたい。

コンサルティングセールスという言葉が一般化してきたように、企業自身がコンサルティングの意味を考え、実践しようとする現代では、従来型のコンサルタントに未来はないと言えるかもしれない。
個人的には、従来のアドバイス産業に留まらず、自らが「商品」を創り出すことが、成長を続けるための課題だと考えている。





■菊池 功プロフィール

          菊池 功        環境ビジネス
コンサルティングを
ゼロから立ち上げた男!



株式会社船井総合研究所
執行役員
環境ビジネスコンサルティンググループ 部長
菊池 功(きくち いさお)

■株式会社船井総合研究所
 TEL:03-6212-2934
 FAX:03-6212-2943
 Mail:eco-webnet@eco-webnet.com



<出版書籍>
2011年12月16日発売!
『中小企業は「省エネ・節電ビジネス」で儲けなさい!』
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