VOL2 「クリーニング工場と日本舞踊」
私の実家は、実は、クリーニング工場を経営していた。
地元では、「菊池クリーニング」という名で少しは知られていた。
私の父はそのクリーニング工場の後を継いだが、結構な変わり者。
若い頃は、俳優学校や芸能教室に通っていて、日本舞踊も習っていたようだった。
そして、ついには日本舞踊の師範資格を取得した。
”藤間流”・・・・・・という家門の師範。
”藤間勘寿鵬”という称号ももらっていた。
そして、父はクリーニング工場経営をしていながら、自分の夢であった日本舞踊教室を開校した。
ピークでは100人を超える弟子たちが在籍して、地元ではNO1(と言うか、オンリー1)の存在だった。
一応、弟子たちからは、「先生!」「先生!」と呼ばれていた。
子供の頃、なぜ、みんなが私の父を「先生!」と呼ぶのかさえも、私は分からなかったものだ。
ところで、舞踊教室の運営に熱心だった為、その分、クリーニング工場の経営は全くの疎か・・・・・。
やがては、工場を閉めることになった。
いわゆる、廃業!
芸のスキルはあった?ようだが、経営のスキルは全くなかったのだろう。
私が中学校1年生の時のことである。
「経営は難しい!商売は難しい!」というフレーズを、
よく両親(特に、母)から聞いていたものだった。
小学校の頃から、”経営・・・・”、”商売・・・・”、という言葉に触れていたのが、
私の経営コンサルタント生活に活かされているのかもしれない。