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2007年3月24日

VOL38.「静寂」

先週の日曜日、実家に帰った。

私の実家は茨城県常陸太田市、人口4万人そこそこの田舎町だ。
JRは、水郡線という単線が一本通っているだけで、
三方は山々で囲まれており、本当に“田舎”という感じの町だ。

今回の帰省は、祖父母が今年の1月に他界して、
その四十九日も兼ねて墓参りする為だった。

墓参りでは当たり前の行動だと思うが・・・・・、

お寺に着くとまず、水汲み場に行き、水桶を取り出し、
水を汲み、その水桶に水を入れる。

墓石の前に立つと、まず、水桶に入れておいたタオルを取り出し、
墓石の汚れを取る為に、そのタオルで墓石をキレイに拭く。

さらに、落ち葉等のゴミを拾い上げて、墓石の周りも身ぎれいにする。

その後、お花を活ける水差しの汚れた水を新しい水に入れ替え、
予め買っておいた花をその水差しに活けて、少しでも綺麗に見えるようにその花を整える。

次に、ティッシュや新聞紙を丸めて、ライターで火を点けて燃やす。
その火を頼りに、線香に火を移す。

火の点いた線香を家族で分けて、それぞれが線香を墓前にそっと置く。
そして、自然に静かに手を合わせ、ほんの数秒だけ黙とうする。

  線香の香りが墓前に漂う・・・・・

  一瞬の静寂・・・・・

  この時ばかりは、いつも神妙になる・・・・・。

私の場合、田舎に帰るのは毎年2〜3回。

当たり前かもしれないが、田舎に帰ったら、必ず墓参りをする。
そして、必ず、ほんの数秒だけだが、このように神妙な気持ちになる。

普段の私は『24時間仕事します!』くらいの気持ちで仕事が好きで、
情熱を持って行っているが、
年間2〜3回の墓参りの時だけは、
ほんの数秒だけ、仕事を一瞬のうちで完全に忘れ去ってしまう時である。

(ちなみに、私は完全なる無神論者で、特別に信仰する宗教はない)

VOL38.「静寂」

先週の日曜日、実家に帰った。

私の実家は茨城県常陸太田市、人口4万人そこそこの田舎町だ。
JRは、水郡線という単線が一本通っているだけで、
三方は山々で囲まれており、本当に“田舎”という感じの町だ。

今回の帰省は、祖父母が今年の1月に他界して、
その四十九日も兼ねて墓参りする為だった。

墓参りでは当たり前の行動だと思うが・・・・・、

お寺に着くとまず、水汲み場に行き、水桶を取り出し、
水を汲み、その水桶に水を入れる。

墓石の前に立つと、まず、水桶に入れておいたタオルを取り出し、
墓石の汚れを取る為に、そのタオルで墓石をキレイに拭く。

さらに、落ち葉等のゴミを拾い上げて、墓石の周りも身ぎれいにする。

その後、お花を活ける水差しの汚れた水を新しい水に入れ替え、
予め買っておいた花をその水差しに活けて、少しでも綺麗に見えるようにその花を整える。

次に、ティッシュや新聞紙を丸めて、ライターで火を点けて燃やす。
その火を頼りに、線香に火を移す。

火の点いた線香を家族で分けて、それぞれが線香を墓前にそっと置く。
そして、自然に静かに手を合わせ、ほんの数秒だけ黙とうする。

  線香の香りが墓前に漂う・・・・・

  一瞬の静寂・・・・・

  この時ばかりは、いつも神妙になる・・・・・。

私の場合、田舎に帰るのは毎年2〜3回。

当たり前かもしれないが、田舎に帰ったら、必ず墓参りをする。
そして、必ず、ほんの数秒だけだが、このように神妙な気持ちになる。

普段の私は『24時間仕事します!』くらいの気持ちで仕事が好きで、
情熱を持って行っているが、
年間2〜3回の墓参りの時だけは、
ほんの数秒だけ、仕事を一瞬のうちで完全に忘れ去ってしまう時である。

(ちなみに、私は完全なる無神論者で、特別に信仰する宗教はない)

2007年3月21日

VOL37.「Dailyで当たり前のこと その2」

来月4月から新入社員が入社してくる。
船井総研では、ここ最近、毎年、50名前後の新入社員が入ってくる。
私が預かっている部署にも10名の新人が配属予定で、
そうすると、100名近い部隊となる(パート社員含む)。

この100名は、全員、コンサルティング業務に直結する業務を行っている、
バリバリのコンサルタント、及び、そのサポーターである。
(総務・経理等の間接要員は入っていない)

私は、生まれつき気楽な人間なので、
良い意味でも悪い意味でも、100名を背負っているという気負いは全くない。

本当に、かなり気楽にやっている。

そんな私でも、日々、気を付けていることは、
『個別打ち合わせ=1対1の対話』を重視する、
ということである。

もちろん、複数メンバーでの定型的な会議はある。

しかし、私の場合、
案件毎、個人毎の『個別打ち合わせ=1対1の対話』をメインと考えて、
それを補うのが定型的な会議である、

と思って実行している。

現在、1ヶ月間で個別打ち合わせする数は、のべ平均50人程度。

対話の大半は質問。
私の方から「ああしろ!こうしろ!」と指示するのは少ない。

  「あの件、どうなっている?」
  「それは、どうしたら良い?」
  「君はどうしたい?」
  「いつ出来る?」
  「他には何か出来る?」

そして、最後には、

  「じゃあ、そうしよう!」
  「すぐしよう!」
  「また、途中経過教えて!」

となる。

執行役員という立場であるが、私も一コンサルタントであり、
クライアントへのコンサルティング業務がメインなので、
社内的な打ち合わせ・管理業務が私のメイン業務ではない・・・。
つまり、世間一般で言う、いわゆる、管理職ではない。
自ら現場業務をこなしながら、ある程度の管理もする。
まあ、分かりやすく言うと、プレイングマネージャーといったところ。

ところで・・・・・、
やはり、定型的な会議体だけでは本当の情報は得られない。
複数メンバーによる打ち合わせだけでは本当の情報は得られない。
また、伝えられない。

そう思う。

数字だけの確認をして、「この数字、どうなっているんだ!」と怒鳴る人(上司)は最悪!
そんな場合、「あなた(上司)はどうしているの?」と言いたい。

そして、メンバーが多くなると、
『個別打ち合わせ=1対1の対話』には時間がかかるようになる。
手間も掛かってくる。

だが、私にとっては、『Dailyで当たり前のこと』。

結構、“楽しく”やっている。

いくらどんなに素晴らしい中長期ビジョンがあったとしても、
この『Dailyで当たり前のこと』がしっかりと出来ていなければ、
メンバー1人1人が本当の能力を開花することはないだろう。


  『Dailyで当たり前のこと』・・・・・、
  しっかりと継続していきたい。

VOL37.「Dailyで当たり前のこと その2」

来月4月から新入社員が入社してくる。
船井総研では、ここ最近、毎年、50名前後の新入社員が入ってくる。
私が預かっている部署にも10名の新人が配属予定で、
そうすると、100名近い部隊となる(パート社員含む)。

この100名は、全員、コンサルティング業務に直結する業務を行っている、
バリバリのコンサルタント、及び、そのサポーターである。
(総務・経理等の間接要員は入っていない)

私は、生まれつき気楽な人間なので、
良い意味でも悪い意味でも、100名を背負っているという気負いは全くない。

本当に、かなり気楽にやっている。

そんな私でも、日々、気を付けていることは、
『個別打ち合わせ=1対1の対話』を重視する、
ということである。

もちろん、複数メンバーでの定型的な会議はある。

しかし、私の場合、
案件毎、個人毎の『個別打ち合わせ=1対1の対話』をメインと考えて、
それを補うのが定型的な会議である、

と思って実行している。

現在、1ヶ月間で個別打ち合わせする数は、のべ平均50人程度。

対話の大半は質問。
私の方から「ああしろ!こうしろ!」と指示するのは少ない。

  「あの件、どうなっている?」
  「それは、どうしたら良い?」
  「君はどうしたい?」
  「いつ出来る?」
  「他には何か出来る?」

そして、最後には、

  「じゃあ、そうしよう!」
  「すぐしよう!」
  「また、途中経過教えて!」

となる。

執行役員という立場であるが、私も一コンサルタントであり、
クライアントへのコンサルティング業務がメインなので、
社内的な打ち合わせ・管理業務が私のメイン業務ではない・・・。
つまり、世間一般で言う、いわゆる、管理職ではない。
自ら現場業務をこなしながら、ある程度の管理もする。
まあ、分かりやすく言うと、プレイングマネージャーといったところ。

ところで・・・・・、
やはり、定型的な会議体だけでは本当の情報は得られない。
複数メンバーによる打ち合わせだけでは本当の情報は得られない。
また、伝えられない。

そう思う。

数字だけの確認をして、「この数字、どうなっているんだ!」と怒鳴る人(上司)は最悪!
そんな場合、「あなた(上司)はどうしているの?」と言いたい。

そして、メンバーが多くなると、
『個別打ち合わせ=1対1の対話』には時間がかかるようになる。
手間も掛かってくる。

だが、私にとっては、『Dailyで当たり前のこと』。

結構、“楽しく”やっている。

いくらどんなに素晴らしい中長期ビジョンがあったとしても、
この『Dailyで当たり前のこと』がしっかりと出来ていなければ、
メンバー1人1人が本当の能力を開花することはないだろう。


  『Dailyで当たり前のこと』・・・・・、
  しっかりと継続していきたい。

2007年3月14日

VOL36.「Dailyで当たり前のこと」

私は、毎日、メンバー(部下)に日報をメールしている。
ほぼ毎日、朝の4:00〜5:00には起きているので、
その時間帯にメールしている。

日報と言っても、本当に簡単なもので、
昨日は主にどこで何をして、今日どこで何をするか?を
1〜2行程度にまとめるのと、
その日思ったこと・感じたこと・メンバーに伝えたいことを
5〜10行程度で整理している。

下にスクロ−ルしなくても、一度にノートパソコンの画面でも見られる程度の分量である。

実は、船井総研の場合、
日報に関しては会社としての定型のルールはない。
必要あればやるし、必要なければやらない。
部署によって、そのリーダーによって、その判断は変わる。

日報というシステムが一般的に普及している現代においては、
相当、変わっているかもしれない。

1人1人が、コンサルタントとして独立志向的に仕事していて、
「仕事は自分で作り、自分で責任を負う」という
船井総研ならではの社風から来ている。


ところで、通常、日報と言うのは、
部下が上司に報告する為、あるいは、上司が部下を管理する為に行うものだ。

しかし、私の場合、考えた方が逆である。

『私自身がメンバー(部下)に報告する為』、かつ、
『私自身をメンバー(部下)に管理してもらう為』に書く。

部下に「日報を書け!」と言っているのに、
自分の行動については部下に知らせない(明確にしない)上司が、時々、いる。

それは絶対に良くない!
上に立つ者ほど、自らの行動・考え方を伝えなければいけないと思う!

しかも、それは『会議の時にまとめて・・・』ではなく、
『日々、常に!』の必要があると思う。

つまりは、“頻度”・・・・・。
言い方を変えると、“鮮度”・・・・・。

その日、思ったこと・感じたことは、その日に伝える。

“頻度”と“鮮度”が、情報を受け取る側の“感度”につながる。

そして、そこに“思い”を込められれば、より良い“感度”を持ってくれるようになる。

(まあ、朝礼時等に顔を会わせた時がベストかもしれないが、
船井総研の場合、各メンバーが、ほぼ毎日、クライアント先に出張しており、
事務所にはいないので、なかなか全員が一同に会せない)

実に小さな事・些細な事に見えるが、
日報と言うものは大事にしたい。

そして、突拍子もないことを狙うのではなく、
当たり前のことを1つ1つ確実にこなしていきたい。

Daily(日々の業務)で当たり前のことも出来ずに、
Feature(将来の目標)が実現出来るわけはない!

と、私は思っている。

VOL36.「Dailyで当たり前のこと」

私は、毎日、メンバー(部下)に日報をメールしている。
ほぼ毎日、朝の4:00〜5:00には起きているので、
その時間帯にメールしている。

日報と言っても、本当に簡単なもので、
昨日は主にどこで何をして、今日どこで何をするか?を
1〜2行程度にまとめるのと、
その日思ったこと・感じたこと・メンバーに伝えたいことを
5〜10行程度で整理している。

下にスクロ−ルしなくても、一度にノートパソコンの画面でも見られる程度の分量である。

実は、船井総研の場合、
日報に関しては会社としての定型のルールはない。
必要あればやるし、必要なければやらない。
部署によって、そのリーダーによって、その判断は変わる。

日報というシステムが一般的に普及している現代においては、
相当、変わっているかもしれない。

1人1人が、コンサルタントとして独立志向的に仕事していて、
「仕事は自分で作り、自分で責任を負う」という
船井総研ならではの社風から来ている。


ところで、通常、日報と言うのは、
部下が上司に報告する為、あるいは、上司が部下を管理する為に行うものだ。

しかし、私の場合、考えた方が逆である。

『私自身がメンバー(部下)に報告する為』、かつ、
『私自身をメンバー(部下)に管理してもらう為』に書く。

部下に「日報を書け!」と言っているのに、
自分の行動については部下に知らせない(明確にしない)上司が、時々、いる。

それは絶対に良くない!
上に立つ者ほど、自らの行動・考え方を伝えなければいけないと思う!

しかも、それは『会議の時にまとめて・・・』ではなく、
『日々、常に!』の必要があると思う。

つまりは、“頻度”・・・・・。
言い方を変えると、“鮮度”・・・・・。

その日、思ったこと・感じたことは、その日に伝える。

“頻度”と“鮮度”が、情報を受け取る側の“感度”につながる。

そして、そこに“思い”を込められれば、より良い“感度”を持ってくれるようになる。

(まあ、朝礼時等に顔を会わせた時がベストかもしれないが、
船井総研の場合、各メンバーが、ほぼ毎日、クライアント先に出張しており、
事務所にはいないので、なかなか全員が一同に会せない)

実に小さな事・些細な事に見えるが、
日報と言うものは大事にしたい。

そして、突拍子もないことを狙うのではなく、
当たり前のことを1つ1つ確実にこなしていきたい。

Daily(日々の業務)で当たり前のことも出来ずに、
Feature(将来の目標)が実現出来るわけはない!

と、私は思っている。

2007年3月11日

VOL35.「稲の話」

私は、“自然愛好家”と言うよりも、“自然崇拝家”である。
自然界の仕組みに対して、“崇拝の心”を持っている。


さて、少し、稲の話をしよう。

稲の実の部分、つまり、米を包んでいるのはもみ殻。
もみ殻の主要元素はケイ素(Si)である。

ケイ素(Si)はガラスの主成分でもあるが、非常に硬く、熱にも強く、
外界の変化に対しても頑強な強い元素である。

稲の一番大事な部分である実(つまりは、米)、
それを包んでいるもみ殻は、この頑丈なケイ素(Si)で守られている。

言い換えると、

  『私たち人間の命を作ってくれる米は、
         この頑丈で屈強なケイ素で守られている』

と言える。

一方、もみ殻以外の部分(茎とか稲穂)には、このケイ素の存在は認められない。

もみ殻だけに、ケイ素が存在する。

よく考えると、これも不思議な話だ。

ところで、このケイ素はどこから来たかと言うと、土から来たもの。

つまり、稲は、土の中の無数にある元素の中からケイ素を特別に抽出して(選び出して)、根っこから吸収して、茎を通過して、“籾殻の部分にだけ”ケイ素を溜め込んでいるのである。

  何と凄いことなんだろう・・・・・

  神秘的だ・・・・・

とてもとても、人間技では出来ない。
もちろん、機械にも出来ない。

それを自然界では、いともかんたんにやってのけている。


話は変わるが、雷の原理も凄い。

まだ、あの原理は詳細に解明されていないようだが、
水のプラズマ分解により、あの雷のエネルギーは生まれる。
水からあのような莫大なエネルギーを作り出す自然界の仕組みは本当に凄い。


工学部原子核工学科出身の私は
“自然愛好家”と言うよりも、“自然崇拝家”である。
自然界の仕組みに対して、“崇拝の心”を持っている。

「自然を守れ!」・・・とか、
「自然を保護しろ!」・・・とか、
そういう考え方は良いとは思うが、
その考え方の中では、
「自然界に対して人間の方が上に立ち、人間が自然界を支配する・・・」
そういう行き過ぎた考え方に陥りやすい。

むしろ、逆で、

  『人間は自然界に従属しており、
         自然界の仕組みの中で人間は暮らさなければいけない』

はずだと思う。

あくまでも、“主”は自然界で、人間はその上で踊っている“従”の存在だ。

したがって、自然界にとって良いことは、
  “人間がそっとしておく”
あるいは、
  “人間が邪魔をしないこと”
であると、私は思う。

子供の教育と同様で、
親が「ああしろ!こうしろ!」と言うよりは、
  “静かに見守る”
ことの方が子供の成長を促進するように・・・。


我々人間は、本当にちっぽけな存在。

それに比べて、自然界の仕組みは本当に偉大だ。

我々は、

  崇拝の心・・・、畏敬の念・・・
  学びの念・・・、そして、
  感謝の気持ち・・・

常に、持ち続けなければいけないと思う。

私が好きな諺の1つがこれである。
       ↓↓↓

  『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』

常に、謙虚に生きたいものである。

VOL35.「稲の話」

私は、“自然愛好家”と言うよりも、“自然崇拝家”である。
自然界の仕組みに対して、“崇拝の心”を持っている。


さて、少し、稲の話をしよう。

稲の実の部分、つまり、米を包んでいるのはもみ殻。
もみ殻の主要元素はケイ素(Si)である。

ケイ素(Si)はガラスの主成分でもあるが、非常に硬く、熱にも強く、
外界の変化に対しても頑強な強い元素である。

稲の一番大事な部分である実(つまりは、米)、
それを包んでいるもみ殻は、この頑丈なケイ素(Si)で守られている。

言い換えると、

  『私たち人間の命を作ってくれる米は、
         この頑丈で屈強なケイ素で守られている』

と言える。

一方、もみ殻以外の部分(茎とか稲穂)には、このケイ素の存在は認められない。

もみ殻だけに、ケイ素が存在する。

よく考えると、これも不思議な話だ。

ところで、このケイ素はどこから来たかと言うと、土から来たもの。

つまり、稲は、土の中の無数にある元素の中からケイ素を特別に抽出して(選び出して)、根っこから吸収して、茎を通過して、“籾殻の部分にだけ”ケイ素を溜め込んでいるのである。

  何と凄いことなんだろう・・・・・

  神秘的だ・・・・・

とてもとても、人間技では出来ない。
もちろん、機械にも出来ない。

それを自然界では、いともかんたんにやってのけている。


話は変わるが、雷の原理も凄い。

まだ、あの原理は詳細に解明されていないようだが、
水のプラズマ分解により、あの雷のエネルギーは生まれる。
水からあのような莫大なエネルギーを作り出す自然界の仕組みは本当に凄い。


工学部原子核工学科出身の私は
“自然愛好家”と言うよりも、“自然崇拝家”である。
自然界の仕組みに対して、“崇拝の心”を持っている。

「自然を守れ!」・・・とか、
「自然を保護しろ!」・・・とか、
そういう考え方は良いとは思うが、
その考え方の中では、
「自然界に対して人間の方が上に立ち、人間が自然界を支配する・・・」
そういう行き過ぎた考え方に陥りやすい。

むしろ、逆で、

  『人間は自然界に従属しており、
         自然界の仕組みの中で人間は暮らさなければいけない』

はずだと思う。

あくまでも、“主”は自然界で、人間はその上で踊っている“従”の存在だ。

したがって、自然界にとって良いことは、
  “人間がそっとしておく”
あるいは、
  “人間が邪魔をしないこと”
であると、私は思う。

子供の教育と同様で、
親が「ああしろ!こうしろ!」と言うよりは、
  “静かに見守る”
ことの方が子供の成長を促進するように・・・。


我々人間は、本当にちっぽけな存在。

それに比べて、自然界の仕組みは本当に偉大だ。

我々は、

  崇拝の心・・・、畏敬の念・・・
  学びの念・・・、そして、
  感謝の気持ち・・・

常に、持ち続けなければいけないと思う。

私が好きな諺の1つがこれである。
       ↓↓↓

  『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』

常に、謙虚に生きたいものである。

2007年3月 6日

VOL34.「環境DNA その2」

現在、私は横浜に住んでいる。

自宅のすぐ前の歩道には、
並木道のように、ハクモクレンの木が何十本も並んでいる。
つい最近までは、つぼみの状態だったが、
先日の日曜日、その花が一気に開いた!

  真っ白くて大きな花!

ハクモクレンの花は、目一杯大きく開くと、
大人の掌を大きく広げたくらいの大きさになる。
そして、大きく開いた後は、ほんの2〜3日で花が散ってしまう。

そのハクモクレンの木をよく見ると、
大きく花が咲いている木と、すでに花が散ってしまった木と、
まだ、花が咲かずに、つぼみ状態のものがある。

花が咲いている木は陽当たりの良い所にあり、
まだ、つぼみ状態の木は建物の陰に隠れて陽当たりの悪いところにあった。

すでに花が散ってしまった木などは、風通しがとても良く、
一日中、陽当たりの良い所にあった。

当たり前かもしれないが、
陽の当たりの良い場所では開花が早く、先に花も散り、
逆に、日当たりの悪い場所では開花が遅いようである。

  同じ花でも、太陽と風とのバランスで、咲き方に差が出る。
  同じ花でも、表情が違う。
  日に日に、表情を変えていく。

四季に富んだ気候風土のおかげで、
日本人は、もともと、季節感に溢れた民族だ。

夏の終わりに、虫の鳴き声を聞いて、秋の訪れを感じ、風流に思う、
そういう民族は他にあまりないと言われる。

日本の祭りの由来は、
「良い実りがありますように!」と自然界に祈願したり、
「良い収穫が採れました!」と自然界に感謝するものが大半だと言われる。

もともと、日本人は季節感に溢れ、自然界の動きと実に上手く共生していた民族だ。
自然の鼓動を上手に感じ取るDNAを持っている。

今は、どうしてもそういう季節感が失われつつある。
自然界の鼓動に鈍感になってしまっている。
本来、日本人の持つDNAが隠されてしまっている。

  CO2問題どうする?
  温暖化はどうする?
  リサイクルの推進!

そのような議論はもちろん大事だが、
その前に、本来、日本人の持つDNA、『心のDNA』を呼び覚ますべきだと思う。
我々、自分自身が日々の過ごし方を見直すべきだと思う。

そして、時には・・・・・、

  心を穏やかにして、じっと目を閉じ、耳を澄まして、
  光を受け、風を感じ、花や木や草の香りを味わいたいものだ。

今の時期は、まさに花や木や草や土さえも、日々、違った顔を見せてくれる。

何気ない自然の鼓動を感じることが出来た時、心が豊かになる瞬間なのだろう。

本当の豊かさとは何か???

考え直したいものだ・・・・・。


自宅前のハクモクレンの花は、
毎日、ある時は微妙に、ある時は大胆にその表情を変えている。

VOL34.「環境DNA その2」

現在、私は横浜に住んでいる。

自宅のすぐ前の歩道には、
並木道のように、ハクモクレンの木が何十本も並んでいる。
つい最近までは、つぼみの状態だったが、
先日の日曜日、その花が一気に開いた!

  真っ白くて大きな花!

ハクモクレンの花は、目一杯大きく開くと、
大人の掌を大きく広げたくらいの大きさになる。
そして、大きく開いた後は、ほんの2〜3日で花が散ってしまう。

そのハクモクレンの木をよく見ると、
大きく花が咲いている木と、すでに花が散ってしまった木と、
まだ、花が咲かずに、つぼみ状態のものがある。

花が咲いている木は陽当たりの良い所にあり、
まだ、つぼみ状態の木は建物の陰に隠れて陽当たりの悪いところにあった。

すでに花が散ってしまった木などは、風通しがとても良く、
一日中、陽当たりの良い所にあった。

当たり前かもしれないが、
陽の当たりの良い場所では開花が早く、先に花も散り、
逆に、日当たりの悪い場所では開花が遅いようである。

  同じ花でも、太陽と風とのバランスで、咲き方に差が出る。
  同じ花でも、表情が違う。
  日に日に、表情を変えていく。

四季に富んだ気候風土のおかげで、
日本人は、もともと、季節感に溢れた民族だ。

夏の終わりに、虫の鳴き声を聞いて、秋の訪れを感じ、風流に思う、
そういう民族は他にあまりないと言われる。

日本の祭りの由来は、
「良い実りがありますように!」と自然界に祈願したり、
「良い収穫が採れました!」と自然界に感謝するものが大半だと言われる。

もともと、日本人は季節感に溢れ、自然界の動きと実に上手く共生していた民族だ。
自然の鼓動を上手に感じ取るDNAを持っている。

今は、どうしてもそういう季節感が失われつつある。
自然界の鼓動に鈍感になってしまっている。
本来、日本人の持つDNAが隠されてしまっている。

  CO2問題どうする?
  温暖化はどうする?
  リサイクルの推進!

そのような議論はもちろん大事だが、
その前に、本来、日本人の持つDNA、『心のDNA』を呼び覚ますべきだと思う。
我々、自分自身が日々の過ごし方を見直すべきだと思う。

そして、時には・・・・・、

  心を穏やかにして、じっと目を閉じ、耳を澄まして、
  光を受け、風を感じ、花や木や草の香りを味わいたいものだ。

今の時期は、まさに花や木や草や土さえも、日々、違った顔を見せてくれる。

何気ない自然の鼓動を感じることが出来た時、心が豊かになる瞬間なのだろう。

本当の豊かさとは何か???

考え直したいものだ・・・・・。


自宅前のハクモクレンの花は、
毎日、ある時は微妙に、ある時は大胆にその表情を変えている。

2007年3月 1日

VOL33.「環境DNA」

さて、歴史上の世界最高の環境先進都市はどこか?

それは、『日本の江戸』だと私は思っている。

江戸は、農業を中心とした循環型社会の理想系だ。

農業手法は農薬や化学肥料に依存した現代型の農法ではなく、
無農薬無化学肥料の自然農法。

人間の便や家畜の糞尿は肥溜(こえだめ)で自然発酵されて、
再び、田畑の肥料として有効利用されていた。

自然農法により田畑で育った野菜たちは収穫されて、
再び、人間に食されて、肉体を作ってくれる。

そして、肉体を作る時に出来る残渣物が便となり、
肥溜(こえだめ)で自然発酵されて、
再び、田畑に返されていた。

  まさに、完璧なリサイクル!

一方、米作りの場合、稲を収穫した後、稲ワラは捨てずに、
雨合羽にしたり、三度傘にしたり、草履にしたり、
さらには、茅葺家の屋根等に活用していた。

  まさに、リサイクルのお手本!

酒・醤油・みりんは、すべて一升瓶を使っていた。
言葉は悪いが、使い回し。

タンスなどは、結婚時に、母から娘へ、そして、孫へと継承されて、
代々、使われ続けていたと言う。

  まさに、(リサイクルと言うよりも)リユースの典型!

みんなが「もったいない」と思う心を持ち、
物を大事にして、自然の恵みに感謝して、
自然と共に共生していた。

当時では世界NO1の100万人を超える人口を抱えていた江戸だったが、
全く環境汚染されておらず、奇跡的であったとさえ言われている。

  江戸は、歴史上の世界最高の環境先進都市!

本来、日本人はこういったDNAを潜在的に持っているはず。

今はどうしても、
「環境意識はヨーロッパの方が進んでいて、日本が大幅に遅れている」
と言われてしまうが、
本来、日本人のDNAには、環境意識が根付いているはず。

今、私たち1人1人がそのDNAを呼び覚ますべき時だと思う。

世界最高の環境先進都市「江戸」を生んだ日本民族は、
  “世界に誇れる環境先進民族!”

(正式には、環境先進民族だった・・・・・?)

日本民族は凄い民族だ。

自信を持って良いと思う。
                                                             ただし、今はそのDNAが完全に眠っている
眠らされていると言った方が正確かもしれない。
欧米から始まった資本主義の考え方に・・・。

私たち日本人にとって、最も大事なことは、
ヨーロッパ等のことを真似するだけでなく、
自らが持っているものを呼び覚ますことだと思う。

本質的なものこそ・・・・・、

『実は、本当の答は自分の中にある!』と私は思う。

VOL33.「環境DNA」

さて、歴史上の世界最高の環境先進都市はどこか?

それは、『日本の江戸』だと私は思っている。

江戸は、農業を中心とした循環型社会の理想系だ。

農業手法は農薬や化学肥料に依存した現代型の農法ではなく、
無農薬無化学肥料の自然農法。

人間の便や家畜の糞尿は肥溜(こえだめ)で自然発酵されて、
再び、田畑の肥料として有効利用されていた。

自然農法により田畑で育った野菜たちは収穫されて、
再び、人間に食されて、肉体を作ってくれる。

そして、肉体を作る時に出来る残渣物が便となり、
肥溜(こえだめ)で自然発酵されて、
再び、田畑に返されていた。

  まさに、完璧なリサイクル!

一方、米作りの場合、稲を収穫した後、稲ワラは捨てずに、
雨合羽にしたり、三度傘にしたり、草履にしたり、
さらには、茅葺家の屋根等に活用していた。

  まさに、リサイクルのお手本!

酒・醤油・みりんは、すべて一升瓶を使っていた。
言葉は悪いが、使い回し。

タンスなどは、結婚時に、母から娘へ、そして、孫へと継承されて、
代々、使われ続けていたと言う。

  まさに、(リサイクルと言うよりも)リユースの典型!

みんなが「もったいない」と思う心を持ち、
物を大事にして、自然の恵みに感謝して、
自然と共に共生していた。

当時では世界NO1の100万人を超える人口を抱えていた江戸だったが、
全く環境汚染されておらず、奇跡的であったとさえ言われている。

  江戸は、歴史上の世界最高の環境先進都市!

本来、日本人はこういったDNAを潜在的に持っているはず。

今はどうしても、
「環境意識はヨーロッパの方が進んでいて、日本が大幅に遅れている」
と言われてしまうが、
本来、日本人のDNAには、環境意識が根付いているはず。

今、私たち1人1人がそのDNAを呼び覚ますべき時だと思う。

世界最高の環境先進都市「江戸」を生んだ日本民族は、
  “世界に誇れる環境先進民族!”

(正式には、環境先進民族だった・・・・・?)

日本民族は凄い民族だ。

自信を持って良いと思う。
                                                             ただし、今はそのDNAが完全に眠っている
眠らされていると言った方が正確かもしれない。
欧米から始まった資本主義の考え方に・・・。

私たち日本人にとって、最も大事なことは、
ヨーロッパ等のことを真似するだけでなく、
自らが持っているものを呼び覚ますことだと思う。

本質的なものこそ・・・・・、

『実は、本当の答は自分の中にある!』と私は思う。





■菊池 功プロフィール

          菊池 功        環境ビジネス
コンサルティングを
ゼロから立ち上げた男!



株式会社船井総合研究所
執行役員
環境ビジネスコンサルティンググループ 部長
菊池 功(きくち いさお)

■株式会社船井総合研究所
 TEL:03-6212-2934
 FAX:03-6212-2943
 Mail:eco-webnet@eco-webnet.com



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