VOL53.「環境教育」
現在、船井総研の環境ビジネスコンサルティンググループでは、
幼稚園・小学校・中学校、そして、大学に対して、
環境教育を実施している。
ただし、今年は、まず、試験的・トライアル的に行っているところもあり、
来年が本格的な動きになるだろう。
また、この活動により収益を得ているか?と言うことになれば、
全く持って収益活動にはなっていない。
現段階では、ボランティア活動と言えるものである。
さて、環境教育と言っても、かなり幅広いものであり、
どこまでが環境教育か?という定義さえも一般化していないのが現実であろう。
私が個人的に勝手に定義している環境教育というのは、以下の通りである。
1.「環境教育」とは・・・「自然界教育」=「循環教育」
(1)自然界の法則を知る
(2)自然界の成り立ちを知る
(3)自然界はすべて循環していることを知る
(4)自分で生きているようで、
実は、人間は自然界の中で生かされていることを知る
(5)本当は、自分のものなど何1つないことを知る
(すべては、自然界に組み込まれているもの)
(6)他の存在があって自分の存在があることを知る
(7)自然界の中で不必要なものは何1つないことを知る
(8)自然界の偉大さを知り感謝の気持ちを持つ
※本来、人間の生き方そのものである
2.具体的に何を知るべきか?・・・「環境教育」の分類
(1)太陽(光)の存在・働き
(2)空気の存在・働き
(3)水の存在・働き、水の循環
(4)土の存在・働き
(5)植物の存在・働き
(6)生物の循環(食物連鎖)
(7)微生物の存在・働き
(8)人間の体の仕組み
(9)自然治癒力・自己治癒力
(10)食育
(11)礼儀
(12)廃棄物リサイクル問題
(13)エネルギー問題
(14)環境ビジネス
一般的に環境教育と言うと、上記の2の(12)(13)のような、
エネルギー問題とか、ゴミの問題とかのような、
そういう目の前の現象面だけの問題を取り上げる傾向が大きい。
もちろん、それはそれで非常に大事だが、
私の場合は、上記の1の内容が根本にあるべきだと思っている。
人間は、あくまでも自然界の一部であり、従属する身。
決して、「人間の存在が主で、自然界が従ではない」はずである。
したがって、「環境問題について人間が解決する」、
などという考え方は、実はかなりおこがましい考え方だと思う。
おこがましいどころか、実に横暴な考え方であると、私には感じる。
これまで人間が横暴で勝手なことをして、
自然界の秩序を乱してきて、現在の環境問題を引き起こしてきたからである。
(もちろん、資本主義の世界・ビジネスの世界にいる私自身も自然界の秩序を乱してきている1人であるが・・・)
本当のことを言うと、環境問題の解決の為には、
“人間が何もしないこと”が一番である、と私は思っている。
“人間が経済活動のすべてを止めること”本来、これこそが環境問題を解決する一番の、かつ、根本的なことなのだろう。
だが、現実的には非常に難しいので、
少なくとも、まずは上記の1のような内容について理解する努力が必要ではないだろうか。
(次回に続く・・・・・)
コメント
先日,とあるキリスト教徒である友人と自然の見方について少しケンカになりそうな議論をしました。
「今ある地球の自然は,人間のために作られたとしか言いようがない」という話を持ちかけられ,僕は「そんなことはないだろう。なんでそんなに都合の良い解釈ができるんだ?人間の祖先が,周囲の環境により適合できるように自らの意志で進化してきたんじゃないの」と反論しました。
しかし,彼は聖書に書いてありそうな話を繰り返し,結局「神様が・・・」の一点張りでした。キリスト教は自然に対する見方が強引なようです。もしかすると他の宗教もそうした傾向があるかもしれません。
日本はほぼ無宗教国家なので,価値観を変化させることは比較的容易かもしれませんが,キリスト教などの宗教を信仰している人々の意識を変えさせるのは非常に困難を伴うものだなぁと感じました。しかも,聖書は憲法以上に内容を変更しづらいものだと思います(このあたりの事情は良くは分かりませんが)。
宗教の信仰者の人々の意識を変えることができれば,世界を大きく変えることができるかもしれません。
投稿者: 青木 | 2007年06月14日 01:00