VOL197.「トヨタ リコール問題 その2」
先週1週間は、トヨタのリコール問題が、連日、大きく報道されていた。
ただし、中には、
「あれは、アメリカの日本バッシングだ!」
という声もあるし、
「日本では騒がれ過ぎている!」
「マスコミが煽り過ぎだ!」
という声も多々あるようだ。
確かに、必要以上に騒ぎ過ぎの部分はあるかもしれない。
しかし、火のないところに煙は立たない・・・。
特に、(トヨタ側は感覚の差と言っていたが)
新型プリウスのブレーキの効き具合での認識の差は、
ユーザーの些細な声に対する耳の傾け方が甘かったようだ。
あるいは、社内でそういう(ブレーキの効きが悪いかもという)声があったのに、
社内的な壁(上下の壁や部門感の壁)でその声がかき消されていた可能性もある。
その結果、経営トップにその声が全く届いておらず、
現場認識と相当な乖離があったかもしれない。
それが、経営トップの後手後手な対応になったのかもしれない。
もし、そうだとすれば、実は、技術的な問題以上にやっかいなものだ。
根本的な“社風の問題”や“組織の問題”にその根源があるからだ。
数年前のJR西日本の脱線事故のような
経営効率至上主義・数字追求至上主義・・・・、
に追われて社会に対する責務を完全に置き去りにしてしまった可能性がある。
あるいは、何か不可侵なものがあって、他からは不都合なことを明言できない・・・、
そういう見えない壁がある可能性がある。
誰か1人の責任と言うよりも・・・、
あるいは、
技術的な問題と言うよりも・・・、
組織や集団の潜在意識が巨大な固まりになって膨張して、
トップ企業として持つべき責務を知らない間に忘れ去られてしまう
“風土”を作ってしまう・・・、
そうだとすれば、非常にやっかいなものだ。
まだ、技術が足りない方がましだ。
まさに、資本主義(競争主義)の中で、巨大企業が陥りやすい問題だ。
一方、「アメリカの日本バッシングだ!」という見方も、
それが本当ならば、資本主義(競争主義)が招いた結果だろう。
アメリカに対するテロ攻撃と同様、
売上利益の差が拡大し過ぎたり、
貧富の格差が拡大し過ぎたり、
持てる者と持たざる者の格差が拡大し過ぎたりすると、
どうしても、異常な嫉妬・妬み・やっかみという感情を生み出してしまう。
経営破綻したアメリカのGMの従業員が、
「GMが破綻したのはトヨタがアメリカを席巻したからだ!」
と異常な考えを持つ可能性もある。
やはり、現在の資本主義(競争主義)では、
一握りの幸せと多数の不幸せを生み出してしまう。
世界トップクラスの業績を誇ってきたトヨタでさえも、
何か、今は“悲壮感”で一杯だ。
今回のリコ−ル問題、
決して、一時の騒動ではなく、一社の問題だけでもなく、
「今後、起こるであろう、もっと大きな時代の変化の序章に過ぎない」
私には、そう思えるのである。
そして、再三再四、私が本ブログで示しているように、
「2015年まではエコノミー優先(経済性優先)時代で、
2015年以降はエコロジー優先(環境性優先)時代に転換していく」
そういう大転換が始まろうとしていると感じるのである。